Ryohei Manabe | CREATIVE
CREATIVE
クリエイティブ
1997年入社
東京都出身
犬タビュアー
プレイング執行役員。エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクターとしてクライアントの広告を制作する仕事と、1000人のクリエイティブ局員を率いて組織を変革していく仕事の、両方に取り組んでいます。関わってくれるすべての人が、貴重な人生の時間を使ってよかった!と思える、誇りとやりがいをディレクションすることを特に大事にしています。
母校の高校教師になりたくて、大学では教職課程と教育学のゼミに本気で取り組みました。大手進学塾のクラス担任のバイトでは、全員に配る事務連絡シートの白紙の裏面を、教師-学生-クラス担任の3者のコミュニケーションをつなぐメディアにできないかと考え実行。学生からの質問や面白い投稿を厳選して掲出し、そこに私のツッコミを書き込んだら爆発的に盛り上がり、その体験が広告業界を志向するきっかけになりました。
大学4年生のときに通った広告の学校で、電通のクリエイティブ局の講師たちが自分の仕事を語るときの目がキラキラしていて、数年後にこういうオトナになりたい!と思えました。最終課題の企画で一等賞に届かなかった夜、号泣している自分に驚き、ここまで悔しいと思えるなら天職なのでは!?と興奮しました。
まさかクリエイター・オブ・ザ・イヤーを受賞できるなんて。
CMプランナーのNo.1になることを目指して鎬(しのぎ)を削った同世代の仲間たちが、若くしてクリエイター・オブ・ザ・イヤーを受賞していく中、挫折感を味わいました。そこから、デジタルプランニングとのハイブリッドで勝負する道を選び、46歳で念願の受賞を果たし、かつてのライバルたちに祝福してもらえたときは本当にうれしく、これまでふてくされずに全力でスキルを鍛え続けてよかったと思えました。
1〜5年目
17年目
11〜27年目
中学から大学までバンドでドラムをたたいていました。培ったリズム感は仕事に生きているかも
15分以内で見られる動画なので、
お時間があればご覧ください
入社前の学生時代は、無気力にだらだらと1日を寝て過ごすこともありましたが、入社してからは、1分1秒の時間の大切さを痛感するようになりました。特に最近は早朝に起きて、脳がいちばん冴(さ)えている時間にいちばん大切なことを考える生活リズムにしていて、人生を充実できていると思います。また、週に2日は早朝2時間のテニスをしてから出勤していたり、だいぶ意識が高い人間になっています(笑)。
ジェンダーギャップもハラスメントもない、世界最高の仕事を連発するクリエイティブ集団へ。そのための改革を、仲間たちと企画し、具体的なアクションにどんどん落としこんでいます。電通クリエイティブの新しい働き方が、日本だけでなく世界の見本となり、世の中が良い方向へ変わっていくきっかけになるといいなと思っています(その第一歩の取り組みを、電通報の記事でご覧ください)。
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053
平日通勤前の早朝テニスに加えて、週末は学生時代のテニス部仲間とも
いとこと食べているこの時も、オレンジシャーベットでした